基礎講座 第3講

田園都市と近隣住区論

「ニュータウンの原点」


 ニュータウンは小綺麗な街だけど,歴史や人の温もりが感じられない街だよ とよく言われますが,それに対して半分同意しながら,半分反発を感じるのは 私だけでしょうか。歴史と伝統を感じさせる京都や奈良,さらに秋田県角館や 山口県津和野といった小京都といわれる城下町にしても,実は作られた当時は やはりニュータウンであったはずなのです。

さて今回のお話はニュータウンの思想的源流に遡り考えてみましょう。近代 のニュータウンを考えるときに2人の人物を忘れてはなりません。一人は, 「田園都市論」のハワード(E.Howard)というイギリス人です。本年は「田園 都市」を提唱した『明日の田園都市』が刊行されてちょうど百年目に当たる記 念すべき年です。その思想は,都市と農村のよいところを兼ね備えた都市の建 設にあります。周囲を農業地帯によって取り囲まれ,健康的な住居,土地は公 有化それ,開発利益は社会的に還元され,産業をもつ自立都市を目指したもの でした。レッチワースやウェルウィンというというイギリスの都市が典型とさ れています。この思想は,日本に明治の末期輸入され,大正の関東大震災後に 成城,国立,大泉なとどともに田園調布が作られたことはよく知られていま す。

もう一人は,「近隣住区論」のペリー(C.A.Perry)というアメリカ人で す。近隣住区といいますのは,都市を構成する一つの都市計画単位(unit) で,1小学校区を単位として,歩車道分離,公園緑地を確保し,商業施設を配 置するものでした。1930年代のセント・ルイスやニューヨークの都市計画に取 り入れられました。多摩ニュータウンも21の住区によって構成されています。 ここ長池地区は12住区(堀之内・別所)と13住区(松木)と2つの住区より成 り立っています。ただ日本の住区は中学校単位とされているところが異なりま す。多摩においては1住区の計画規模は,面積100ha,住宅戸数3300戸,人口 12000人とされています。住区の中に日常生活に必要な施設が配置されていま す。

確かに日本のニュータウンは欧米のニュータウンの手法を適用されて作られ てはいますが,その実態は欧米のものとは大きく異なったものとなっていま す。ハワードの田園都市も人口32,000人を想定したものでした。さらに,千里 や多摩にしても日本のニュータウンは当初,域内に職場はなく,大都市に通勤 するためのベッドタウンとして計画されました。

 2人の先人の業績は都市計画の理論としてだけではなく,実はコミュニティ 運動という社会改革運動の思想がその背景にあったことは今日忘れられがちで す。そこが彼らの理論を理解する際に重要な点であることを強調しておきたい と思います。さらに興味関心のある方は,ハワード著『明日の田園都市』鹿島 出版会,ペリー著『近隣住区論』鹿島出版会を秋の夜長一読されることをおす すめします。

次回第4講は「新住地区と区画整理地区」の予定です。

(蓮生寺公園通り一番街 炭谷 晃男


FUSION 多摩ニュータウン学基礎講座 - 田園都市と近隣住区論