地活隊 - 多摩の歴史をたずねて

多摩の歴史をたずねて

多摩ニュータウン開発
〜変わる地名〜


筆者は別所2丁目在住ですが、この別所という地名は、古く は江戸期〜明治に多摩郡柚木領の村名として存在していました。 1889(明治22)年に由木村の大字となり、1964(昭和39)年由木村 の八王子市合併で八王子市別所となりました。別所2丁目は多 摩ニュータウンの開発で前述の別所・南大沢・堀之内・東中野 の各一部にまたがって誕生したものです。「別所」は大字が現 在の住所名に引き継がれていった例ですが、中には消えていっ た字名もあります。今回は地名の変遷について見ていきたいと 思います。

まず、多摩ニュータウンの開発で誕生した地名の例です。

鹿島:

昭和50年八王子市議会で議決されて、12月 1日から新町 名として誕生しました。八王子市大塚の一部が鹿島となった もので、その由来は、昔、この地に鹿島神社があったことに よります。

松が谷:

鹿島と同時期に新設された町名、八王子市東中野と大 塚の一部が松が谷になりました。これは、この地に古くから 松が谷戸と呼ばれる谷があったことから名づけられたものです。

南野:

町田市から多摩市に編入された町田市の小野路地区の一 部が多摩ニュータウンの南端に位置することから、小野路の 野を取って「南野」と名づけられました。

これらのほかにも、多摩市の「愛宕」「聖ヶ丘」、稲城市「向 陽台」などがあります。鹿島、松が谷などは誕生してから20年 以上も経っていることから、筆者にはその土地になじんだ地名 と感じられます。

先に述べた別所以外の大字が町名として残っている例は、別 所のあった旧由木村で見てみると、鑓水、中山、上柚木、下柚 木、越野、堀之内、南大沢、松木、東中野、大塚と別所と合わ せて11の大字が現在も町名として残っています。となりの多摩 市では、旧多摩村の時代に8つの大字がありましたが、その中 で「乞田」だけが現在の町名に使われていません。乞の字が乞 食を連想させるからでしょうか、新しい街のイメージに合わな いということで使われなくなったようです。ただし、わずかに 乞田川にその名をとどめています。その昔、領主の圧政で食糧 難に苦しんだ農民が「少しでも田んぼを耕させてほしい・・・」 と乞うたのが地名の由来と伝えられています。

大字は地名として比較的存続していますが、小字になるとそ うではなくなります。そのほとんどが住所表記の地名から消え ていったと言っても過言ではないでしょう。そのいくつかを紹 介したいと思います。

日向:

上柚木、南大沢、大塚やその他の地区にも見られる旧小 字名です。南に開けた日当たりの良い土地につけらました。

日影:

上柚木、南大沢、堀之内、大塚に見られます。山や丘陵 の北斜面か山すそに見られる地名です。
これらの地名は差別感を感じさせるのか、全く消えてしまった ように思われます。

愛宕:

上柚木の旧小字。もと愛宕神社とその北麓の地を呼びま した。愛宕神社は多摩ニュータウン開発で1986年 9月に現在 の地に遷座しました。こちらの愛宕は消えてしまいましたが、 多摩市には新しく愛宕が誕生しています。

引切:(ひっきり)

堀之内の旧小字。古くからの集落がありま した。野猿街道にバス停・引切があります。この引切には次 のような昔話があります。
”大昔よ、由木の松木と越野の境に流れてるよ、大栗川に でかい竹がはえててよ、その大竹を切っただと、そした ら竹の先が東中野まであるほどの竹だそうだ。その竹を 片付けようとしたが、でかすぎた。そこで堀之内で切っ たそうだ。そこを引切という。そして、越野と堀之内の 境でかついだので、そこを片所(かたそ)というそうだ”

芝原:

同じく堀之内の旧小字。野猿街道にバス停・芝原があります。

望地:
(もうち)

大塚と松が谷にまたがる旧小字、大栗川の南 岸にあり、もと大塚の中央部を占めていました。松が谷に望 地公園があります。

多摩市には、小字名が町名になったものがあります。諏訪、豊 ヶ丘、永山、鶴牧、唐木田がもとの小字から現在の町名になっ たものです。旧大字、小字にはその地の歴史を感じさせるもの も多くあります。地名から歴史を知ることもその土地への馴染 みを増していくことにつながるのではないかと思います。

<参考文献>
・多摩丘陵のあけぼの(横倉舜三著、多摩ニュータウンタイムズ社発行)
・八王子事典(八王子事典の会編著、かたくら書店発行)
・地図で見る多摩の変遷(財団法人日本地図センター発行)

(プランヴェールせせらぎの丘 田中 純)