FUSION 郷土史勉強会 - 多摩の歴史をたずねて

多摩の歴史をたずねて

第1回 開発と農業


多摩ニュータウンに暮らしていると、つい、ここはも ともと「なにもなかったところ」だったという感覚に陥 りがちではないでしょうか。

高畑勲監督のアニメ映画『平成狸合戦!ぽんぽこ』を 見ると、そのような感覚が「錯覚」なのだと気づかされ ますが、多摩ニュータウンは、誰も住んでいない場所を 開発したのではなく、山を削り田畑を埋めてつくられた 街です。

そもそも、多摩ニュータウンの開発区域として指定さ れた約3000ヘクタールにおよぶ広大な土地には、伝統的 な農村集落が点在していました。「ライブ長池」は、当 時の南多摩郡由木村大字別所の集落を中心に開発されま したが、この集落は江戸時代から多摩郡柚木領内に別所 村として成立しており、『新編武蔵風土記稿』(天保元 年・1830年完成)には家数27軒との記録があります。

東京オリンピックの開かれた昭和39年(1964)の時点 では、多摩ニュータウン計画区域の約3分の1にあたる 960ヘクタールが田・畑を中心とした農地でした(当時 の南多摩郡内農地面積の7割以上)。そこには、1143戸 の農家(うち約半分が専業農家)が稲作、野菜作り、養 鶏、養豚、酪農などを営んでいました。

当初の計画では計画用地内のすべての土地を全面買収 して、住宅と公共施設、公益的施設でうめつくすことに なっていました。結局、既存集落の住宅用地だけは残る ことになりましたが。

農家のなかには、東京近郊で農業を続けることを強く 希望していたところも少なくなかったのですが、開発施 行者は代替農地のあっせんをまったく行ないませんでし た。用地買収に応じない農家に対しては、買収担当者が 「自分で土地を見つけて北海道へでも那須へでも行けば 農業はできる」とか「柱にしがみついてたって、うちは やります」とまで言って、交渉を進めていったという話 しも聞いたことがあります。

それでも、農業を続けるために、丹沢山麓や津久井な どの遠方に移転した家もありましたが、ニュータウン地 域内に住み続ける道を選んだ農家の方々は、開発にとも ない意に反して農業を離れたり、一時的に移転させられ たりと、相当な苦労を重ねられました。

さて、多摩ニュータウンには、計画的につくられた便 利さ、快適さもある反面、短期間に農業をなくし、いっ たん、「無産業地帯」をつくってしまったがゆえの暮ら しにくさ(ふつうの街とのちがい)もあると思います。

これからは、以前から多摩丘陵に暮らしてきた人々と 最近移り住んできた人々が手を携えて、多摩ニュータウ ンのあり方を探ることが大切ではないでしょうか。

民俗学でいう「開発伝承」によれば、多摩丘陵の相当 古くからの農家には、先祖は後北条氏の家臣で、天正18 年(1590)の小田原落城の後に鎌倉街道を「登って」多 摩丘陵に落ち着いたという言い伝えが残っています。

そう考えてみると、多摩丘陵に暮らす人々は、時代や 年数はちがえど、良好な環境をもとめて他から移ってき た人たちだ、と言うこともできるかもしれません。

さて、次回からこの連載では長池地区の街づくりの手 がかりを探るという観点から、「あしもとの歴史」をひ とつひとつ照らし出していきたいと考えています。

勝村誠と矢口祥有里が交互に担当しますので、よろし くお願いします。

(ホームタウン松木・勝村 誠)