いなげや松木店の隣にガーデニングの専門店「グリ ーンギャラリー・ガーデンズ」があります。その裏手 にある「ヨシダ・フィッシュファームズ」では、金魚、 世界各地の熱帯魚やカメ、そして見事な錦鯉まで扱っ ていて、いつもお客さんが絶えることがありません。 これらのお店は大正10年に開業した吉田養魚場から 発展したものです。その歩みを現会長の吉田八重子さ んにうかがいました。
養魚場を創業した吉田定一は明治24年(1891) に由木村松木の吉田定次郎の次男として生まれました。 若いころは東京市電の運転手をしたり、朝鮮半島に渡 るなどなかなかの野心家でしたが、魚釣り好きが高じ て大正10年(1921)に故郷で養魚場を始めまし た。開業にさいしては、南多摩の酪農の創始者・井草 甫三郎(明治25年に開業)の助言を受けたようです。 井草は養鶏、養魚など由木の産業奨励に力をそそいだ 先覚者です。
吉田養魚場では食用の黒鯉を生産していました。東 京ではその草分けでした。松木の地は良質な湧き水に 恵まれ、夏でも養魚池の水が干あがる心配がなかった そうです。八王子から料理屋の残飯をもらってきて、 それに糠を混ぜて煮込んだものを餌にしていました。
定一の養魚にかける熱意に、子供たち(8男4女) の家内労働力の助けもあって、養魚場は一代で大きく 発展しました。吉田の鯉は戦時中には軍隊や疎開学童 の貴重なタンパク源になったとも言われています。
戦後、定一は由木村議会議員、議長などの要職をつ とめ、キリスト教の布教にも力を注ぎました。
この養魚場を全国有数のものに発展させたのが定一 の三男・吉田広でした。昭和20年代末から金魚の仕 入れを始め、続いて錦鯉を扱うようになり、昭和39 年には吉田観賞魚販売(株)を設立しました。昭和4 3年には(有)西東京観賞魚市場を開設、この時期は 全国で釣り堀が盛んだったこともあってブームにも乗 り、週2回開く市場で1日あたり500万円ぐらいの 売り上げがあったそうです。翌44年には全日本錦鯉 振興会が品評会を始めるにあたって尽力し、のちにこ の振興会の理事長もつとめました。品評会はいまでも 毎年、平和島の東京流通センターで開かれており、全 国から4000本位の出品があるそうです。また広さ んは錦鯉の飼育法について2冊の著書も残しており、 鯉の普及に情熱をかけた姿がしのばれます。
その後、市場は流通量が減ったため平成3年に閉鎖、 その年に広さんは63歳の若さで亡くなられましたが いまは奥様の八重子さんと息子さんたちが跡をつぎ、 30人の従業員(パートふくむ)と一緒に意欲的な経 営を続けています。高速交通と輸送技術の進歩もあっ て、いま吉田観賞魚では、山梨県石和の養魚場からベ ルギー、イギリス、シンガポール、アメリカへ鯉を輸 出しており、国際的企業の顔も持っています。
さいきんは、昭和48年から始めた園芸・ガーデニ ング事業が徐々に比重を高めていますが、松木の湧き 水を利用した養魚場は健在。いなげやの脇で湧く水を 地中にパイプを通して養魚場まで引いており、澄んだ 水が満ちた養魚池に大きな錦鯉が泳ぐ姿は圧巻です。
結びに会長からのメッセージ。「園芸や観賞魚のこ とならなんでもお気軽にお電話ください。庭のプラン ・デザイン・施行などなんでもやりますが、必ずお客 さんが手を入れる部分を残すようにしています。」
(ホームタウン松木・勝村誠)
グリーンギャラリー・ガーデンズ 76ー7115
ヨシダ・フィッシュファームズ 76−7111