FUSION 郷土史勉強会 - 多摩の歴史をたずねて

多摩の歴史をたずねて

第5回 多摩は神奈川だった


南大沢駅、京王堀之内駅周辺ににお住まいの皆さんの 住所は、
  東京都八王子市・・・・
ですね。でも、その昔、このあたりは神奈川県に所属し ていたことがあるのです。明治維新後、二十数年の間で すが・・・  では、その間の様子を見てみましょう。

江戸時代、ご存知の通り日本は300余りの藩に分かれ ていました。これが明治維新を迎え廃藩置県で、まず、 1871年9月、3府(東京、大阪、京都)302県(!) に置き換えられました。もっとも、この時は代官や旗本 の旧領のままで、多摩は品川県、韮山県、入間県、西端 県(どこだ??)に属していたとのことです。そして、 1871年11月、3府(東京、大阪、京都)72県 に再編成されたときに、多摩は新設の神奈川県に属する ことになったのです。このころの多摩はおおまかに言っ て現在の山手線の西側すべてだったようです。当時の神 奈川県のイメージは、ちょうど、今の神奈川県の上に現 在の東京都の山手線の西側が乗っかったような形になり ます(頭でっかちの神奈川県?!)。

その後、1872(明治5)年に現在の中野区、杉並区など 多摩東部が東京府に分割移管され、今、私達がイメージ する多摩に近いものとなりました。さらに、1878(明治 11)年、郡区町村編制法が布告され、これにより多摩郡 347町村は北多摩、西多摩、南多摩の三郡に分けられ、以 来「三多摩」と呼ばれるようになりました。

このように多摩は神奈川県に属していましたが、その 後、東京府民の飲み水である玉川上水を他県である神奈 川県が維持管理するのはおかしいという理由で多摩を東 京へ移管しようという動きが出てきました。そして、18 93(明治26)年4月1日に東京府に移管されましたが、実 際には、当時の軍備拡張政策に反対の立場をとっていた 自由党弾圧の一つの手段として、その最大の地盤であっ た三多摩を神奈川県から切り離すための措置でもあった ようです。

このように、三多摩は約22年にわたって、神奈川県に 所属していたのです。そして、「三多摩」の名は、今も 例えば学童野球の「三多摩リーグ」等に使われており、 なじみの深いものとなっています。

でも、ここにひとつ疑問があります。北、西、南多摩 はありますが、東多摩はどこにいったのでしょう? 実 は、明治5(1872)年に東京府に移管された多摩東部が三 多摩と同時期に東多摩と呼ばれるようになったのです。 この地域だけが東京府に属していました。東多摩は後に 南豊島郡と合併して豊多摩郡となった(明治29年)ため 東多摩の名前はなくなりました。

<参考文献>
・多摩100年の歩み(多摩百年史研究会編著)
・地図で見る歴史の舞台(帝国書院)
・市民のための八王子の歴史(樋口豊治著)
・多摩・東京−その百年(鈴木理生著)

(プランヴェールせせらぎの丘 田中 純