FUSION 郷土史勉強会 - 多摩の歴史をたずねて

多摩の歴史をたずねて

小野路と小山田氏


尾根幹線の南側、町田市域にはゆるやかな丘陵地帯が広がり 私たちの住む京王堀之内や南大沢の住宅群とは違う昔懐かしい 風景が見られます。今回は小野路の里とそこにゆかりの深い小 山田氏についてお話したいと思います。

京王線・多摩センター駅から徒歩でも約30分、尾根幹線の 多摩南野交差点に着きます。ここから南の方、小野路側へ道を とるとゴルフ練習場の横を通り、道はすぐに細くなり下って行 きます。道が細くなって約100mのところを右にさらに細い 道に入り、2〜3分歩くと小野路浅間神社の裏手にでます。こ のあたりは奥州古街道と呼ばれる街道に沿った地域でした。し かし、実際に付近を歩いても素人の私にはどこが古街道の跡か はわかりませんでした。とはいえ、新緑の季節には木漏れ日が 気持ちよさそうな雑木林の中の道が続きます。

小野路浅間神社から20分も歩くと小野路城跡に着きます。 小野路城は、桓武平氏の一族でこの地一帯を治めていた小山田 別当有重が承安元年(1171)町田市小山田に築いた小山田城の 守りのための支城群の中のひとつとして築城したもので、有重 の子、二郎重義が守備についたとのことです。城の周辺には「 小町井戸」と呼ばれる、水量はそれほど豊かではありませんが、 城内の飲み水として使われた湧き水が現在も水を流しだしてい ます。城はひとつの丘を中心に築かれたようでそれほど規模の 大きなものではありません。本丸跡には小さな祠が祀ってあり ます。周辺は「図師小野路歴史環境保全地域」に指定され、地 域内の歴史的遺産は現状のまま保全するとともに、小野路城跡 を中心とする周辺の樹林は自然林にすることを目標として管理 し、地域本来の植生に戻していくという方針のもと保全活動が 進められています。

さて、ここで少し小山田城、小山田氏にもふれておきましょ う。小山田城は小山田有重の本城として小野路城の南西約1. 5kmに位置し、現在の大泉寺一帯が城域とされます。大泉寺 の南は緩やかな坂道(寺の参道)となっていますが、西側・北 側は深く落ち込み要害をなしています。この城に小野路ほか3 つの城を配して一帯を押さえていました。その小山田有重、小 山田城を構えた後は源頼朝の家人として従軍し、建久元年(11 90)源頼朝入洛に際しては子の三郎重成らを京に派遣するなど 鎌倉幕府開幕に尽力しました。源頼朝死後の元久二年(1205)、 北条時政の誹りを受けて長男稲毛重成・重成の子重政・弟四郎 重朝が将軍実朝に誅されると勢力は一時減退しますが、元弘三 年(1333)、小山田氏の末裔太郎高家は小山田城を本拠に新田 義貞の挙兵に加わり、北条泰家の軍を追って鎌倉に攻め入るな ど活躍したといわれます。この前後、高家は更なる勢力拡大を 画策しますが、新田義貞が足利尊氏と争うに至り、湊川の戦い で義貞を救って討ち死にしてしまいます。小山田氏は室町中期、 文明九年(1477)に滅亡しますが、小山田、小野路両城は武相 国境の要衝として重要視され、扇谷・山内両上杉軍の拠点とし て改修されたとのことです。

さて、小野路城からは萩生田牧場の横を通り、切り通しを抜 けて小野路宿へ出て「小島資料館(新撰組資料で有名)」を訪 問するのも良いですが(ただし、開館時間に制限あり。要問合 せ)、私は道を一本杉公園へととりました。この道は鎌倉裏街 道の一部でもあり、また、一本杉公園の中には、新撰組の土方 歳三が出稽古で通った道も残っています。一本杉公園経由でゆ っくり歩いても1時間かからずに多摩センター駅に着きます。

今回は小野路を中心に取り上げましたが、尾根幹線の南側は 「多摩のよこやま道」として、歴史のワンダーランドが展開さ れているといえます。それだけでなく、雑木林など多摩の自然 も残っており、身近な散策路としても好適ではないでしょうか。

<参考文献>
・多摩のよこやま道散策マップ(多摩の自然とまちづくりの会発行)
・東京都の歴史(児玉 幸多監修)
・史跡訪問HP
・東京の環境−保全地域の指定状況−(東京都環境局HP)

(プランヴェールせせらぎの丘 田中 純