FUSION 郷土史勉強会 - 多摩の歴史をたずねて

多摩の歴史をたずねて

由木 〜身近な歴史〜


八王子市に合併する前、私達の住む街は由木村と呼ばれていました。 今回は皆さんの足元にある小さな歴史の一部をご紹介します。

<由木の語源>
由木は柚木あるいは由儀とも書かれ、 語源はいろいろな説があります。 柳田 國男は「木綿以前の事」という文章の中で日本人の衣服の歴史に触れ、 私達の祖先 が用いた絹、 麻のほかに、 現在では紙の原料として知られる楮(こうぞ)の繊維 を布に織って用いたのではないかと述べています。 そして、 こうぞの中でも優等 な品を神に供えたことからその布を「ユフ」と呼ぶようになりました。 しかし、  こうぞは自由に採取できるほど山野に自生してなかったので生産地は保護され、 ユ フの産地を意味する由ノ木(由木)と呼ばれるようになり、 類似の地名は全国に見 られます。 また、 ユズのことをユーまたはユヒというので柚子の里という説もあ りますが、 木綿(ユフ)以前の衣服という説のほうが歴史的な重みがあるようです。

<古代窯業地帯>
大栗川の源流にある鑓水には、 大陸からの渡来人の指導により、 硬質の須恵 器の瓦を焼いたという記録があり(746年)、 大栗川を遡って文化が伝わってい たことがわかります。 多摩丘陵一帯が須恵器や瓦の一大生産地でした。

<大石氏の遺構>
由木には、 室町時代の大石氏に関する史跡や伝承地がいくつもあります。 そ の一つが永林寺一帯であり、 境内の奥には「由木城址」の碑が建ってます。 大石 氏のうち、 滝山城主だった大石定久は深く仏教を信じ、 一族の僧長純を開山とし て、 天文16年(1547)、 永林寺を開基しました。 その後、 大石定久は 小田原北条氏に破れてその配下となり、 北条氏照を養子に迎えました。 定久は、  天正18年(1590)、 猿丸山(野猿峠)で自刃したといわれ、 現在、 永 林寺本堂裏手に定久の墓があります。

<足もとの歴史>
堀之内周辺の発掘調査によれば、 今から約5000年前の縄文中期、堀之内に は多摩ニュータウンでは最大の集落が営まれていたことがわかっています。 大栗川 流域を支配する中核的な存在として、 竪穴住居跡が確認されています。 台地下の 泥炭層からは植物の化石もたくさん発見され、 今とは比べものにならないほど、  豊かな森があったことが想像されています。

<平安時代からの古刹>
「吾妻鏡」にも記録のある八王子市別所の蓮生寺は、 源頼朝の護持僧だった円 浄坊が、 寿永元年(1182)に建立したという古刹です。 この遺跡からは、  建物跡や鍛冶場跡、 井戸などとともに国産の陶器、 中国製青磁碗、 白磁碗などが発見されました。 このことは、 平安時代にすで に、 この地に寺を建立し、 運営できる豪族がいたことを示しています。

<生糸商人と絹の道>
大栗川の源流にある鑓水は、 「絹の道」として栄えたところです。 安政6年 (1859)、 横浜海港と同時に生糸は重要な輸出品となり、 八王子は生糸の一 大集散地となりました。 山梨、 長野、 群馬などからも大量の生糸が集められ、  馬の背で絹の道を通り、 横浜へと運びました。 絹の道は、 八王子の八日町か ら湯殿川を渡り、 片倉から鑓水峠を越え、 南下して小山から境川沿いに原町田へ 出て、 横浜へと続いていました。 鑓水には、 生糸貿易で財をなした大商人が輩 出して鑓水商人といわれました。 鑓水は農業の生産性が低いため、 進取の気性に 富んだ村民が、 早くから生糸などの商業活動にたずさわっていました。

<80年続いた由木村>
徳川時代の由木領は、 現在の八王子市、 町田市、 多摩市の一部を含む広大 なものでした。 明治時代になると廃藩置県により、 旧由木領は一時韮山県、 品 川県となった後、 明治22年(1889)、 市町村制施行により、 上柚木・下 柚木・鑓水・中山・松木・大沢・堀之内・越野・中野・大塚・別所の11ヶ村が合併 して神奈川県由木村となりました。 その後、 東京府〜東京都南多摩郡由木村とな り、 昭和39年までの80年間存続しました。
東西に長い由木村は、 西南北三方を山に囲まれ、 平坦部では大栗川の水を利 用して水田が開かれ、 丘陵地帯では畑が耕作されていました。 大地主は少なく、  小規模農家の大部分が自給自足体制で、副業として養蚕が行われ、 農閑期には目 籠などの副業に精を出していました。 稲わらは牛馬の飼料のほか、 米俵やムシ ロ、 草履などの貴重な材料となり、 牛馬や蚕の糞、 落ち葉は畑作の肥料として 利用され、 日本農業独特のリサイクルシステムが確立していましたが、 畑地の半 分は山林斜面を開墾したもので、 急勾配のため人手に頼らなければならず、 はし ごや籠を使って重い堆肥や農産物を運搬するなど、平坦な農地の二倍、 三倍の労力 を要し、 由木人独特の気質が生まれました。

<参考文献>
・牧場のおっさんHPから抜粋
・ぽんぽこかわら版(No.24〜No.35)

(プランヴェールせせらぎの丘 田中 純)