前号では多摩ニュータウン開発着手の頃の状況を見てきまし た。今回は開発着手の頃から現在までの大まかな足取りを年表 形式で追いかけたいと思います。()内は西暦年。
昭和37年(62年):
多摩ニュータウン開発構想期
筆者のイメージでは、だいぶ早い時期から構想があり、事業が始まったのだなと感じます(昭和31年生まれのせいもあり)。昭和38年(63年):
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昭和45年(70年):新住宅市街地開発法発布
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多摩ニュータウン区画整理事務所設置
この間、事業主体となる公社や開発局の設置が相次ぎました。 筆者は小学生〜中学生の頃です。多摩テックへ行きたかったのを覚えています。昭和46年(71年):
諏訪・永山地区(5, 6住区)街開き
第一次入居時は賃貸、分譲合わせて2538戸が建設されました。 ただし、小田急、京王の永山駅はまだ開設されていなかったため、バスで聖蹟桜ヶ丘へ出るのがルートだったようです。昭和47年(72年):
和田、愛宕、東寺方、鹿島、松が谷地区(17,18住区)街開き
昭和50年(75年):
小田急多摩線が多摩センターまで延伸
前年の京王相模原線の多摩センター延伸と合わせて、以後13年間多摩センターが両線の終点でした。昭和52年(77年):
東京都南多摩開発計画会議において多摩ニュータウン西部地区開発大綱策定
昭和53年(78年):
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昭和57年(82年):落合、豊ヶ丘(8, 9住区)入居開始
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落合、鶴牧(10, 16住区)入居開始
昭和55年(80年)の多摩センター地区開業をはさんで、この頃までは多摩センターより東側地区の整備が中心でした。昭和58年(83年):
南大沢(14住区)入居開始、ガーデンシティ多摩 '83開催(以降毎年開催)
今に続くガーデンシティ多摩は、この時期から始まったのですね。まだ電車は多摩センター止まりだったので、南大沢へはバスに乗る必要がありました。昭和62年(87年):
パルテノン多摩、サンピア多摩オープン
昭和63年(88年):
京王相模原線が南大沢まで延伸、南大沢地区開業
南大沢駅周辺の商業・業務施設(フレスコ南大沢等)が開業しました。今の南大沢の源ができたのですね。平成 2年(90年): 堀之内・別所(12住区)入居開始、小田急多摩線唐木田まで延伸、京王相模原線橋本まで延伸、京王プラザホテル多摩開業
筆者の住む別所地区はこの年に街開きしました。平成 4年(92年): 多摩ニュータウン25周年シンポジウム開催
平成 8年(96年): 第1回見附ヶ丘フェスティバル(現ぽんぽこ祭)開催
ローカルな話ですが、今年の夏には第9回目を迎えるぽんぽこ祭はこの年に始まったのです。平成10年(98年): 南大沢「ガリレア・ユギ」内にイトーヨーカ堂南大沢店開店
平成11年(99年): NPOフュージョン長池設立
平成12年(00年): 多摩都市モノレール 多摩センター〜立川間開通、ラ・フェット多摩南大沢開業
平成13年(01年): ファブ南大沢開業
南大沢は映画も見られますし、買い物も便利になりました。以上のように筆者の小学生の頃から現在にいたるまで40年間 の多摩ニュータウンの歩みを駆け足で見てきましたが、前半20 年は量を供給する開発だったのに対し、後半20年は量だけでは なく質の高い住環境の整備という質的な転換が見られたように 思います。
40年という長くはないかも知れませんが、決して短くはない 歴史を持った街〜多摩ニュータウン〜、しばらくはこの街の生 い立ちから成長の過程を追ってみたいと思います。
<参考文献>
・月間 多摩テレビ 3月1日号(株式会社 多摩テレビ発行)
・地図で見る多摩の変遷(財団法人 日本地図センター発行)
・NPO ぽんぽこ(富永 一夫著)
(プランヴェールせせらぎの丘 田中 純)